地元の伝統を後世に継承する
岩国藩に伝えられた石田流砲術と岩国藩鉄砲組を復興し、これを後世に継承したいとの機運が高まり、
昭和62年4月5日、岩国藩鉄砲隊保存会の発足から弊社が火薬のお手伝いをしています。
地元の伝統を後世に継承する
岩国藩に伝えられた石田流砲術と岩国藩鉄砲組を復興し、これを後世に継承したいとの機運が高まり、
昭和62年4月5日、岩国藩鉄砲隊保存会の発足から弊社が火薬のお手伝いをしています。
岩国藩鉄砲隊とは
国替えで岩国に移住した家臣団は約千五百名と推察され、元禄十年(1697年)の御家人帳には家臣の数、千四百七十六人、その中に鉄砲組とよばれる足軽四組二百五十人が記録されている。吉川広家の鉄砲組は関ヶ原合戦の前哨戦で、東軍富田信高が守る伊勢安濃津城(現在の津)を落とすなど、軍陣の主要部隊として武勲を立てた実績を有し、平穏な江戸時代にあっても武芸に励み、城下警護の任に当たり、岩国の錦見(にしみ)や海土路(みどろ)などで砲術の訓練をかさねていた。
※岩国藩鉄砲隊保存会のホームぺージより引用
この鉄砲組を後世に継承したいと機運が高まり、昭和62年4月、石田流砲術の伝承と歴史都市岩国のイメージアップを目指し、戦国時代の様式を再現した鉄砲隊を復興し現在に至っております。
岩国藩鉄砲隊の演武
揃いのお貸し具足を着用し、胴の前面には吉川家の家紋・輪九曜を描き、火縄銃は江戸時代に製作された古式銃を整備して使用しています。
口径13mm程度の通称細筒 (小筒)といわれるもので、一丁の迫力は大筒ほどではないが、20名もの一斉射撃の轟音はあたりを圧し、観客のどよめきを誘います。隊長の指揮により一糸乱れず整然と行動することで定評があり、隊員もそれを誇りとしており、毎月(2、8月を除く) 第2日曜日に訓練は欠かさない。
岩国藩鉄砲隊の演武は、元日には一年の平穏を祈願し錦帯橋下河原で初撃ちを行う他、4月29日は時代祭りである『錦帯橋まつり』、更には要請を受けて、萩時代まつりや堺まつりなどの歴史的イベントで演武しています。主な撃ち方に《立ち放し》《腰放し》《膝台放し》があり、それぞれ一斉射撃である《斉射》、連射する《連れ放し》がある。
また、石田流の実践に則した特徴ある撃ち方として、弾込め・口薬詰め・火縄付けそして撃ち手と、それぞれ役割を分担して撃つ《分業放し》や、狭い戦場で敵に包囲された時、要人を守護するため円陣で囲み、撃ちながら包囲網を突破する《円陣放し》などがあるが、いずれも実践に基づいた演武となります。
毎年恒例の参加行事
日程 | 行事 | 場所 | 参加開始年月日 |
---|---|---|---|
1月1日 | 新年初放し | 錦帯橋下河原 | 昭和63年より |
4月29日 | 錦帯橋まつり | 錦帯橋下河原 | 昭和62年より |
10月 第3日曜日 | 堺まつり | 大阪府堺市 | 平成7年より |
11月 第2日曜日 | 萩時代まつり | 山口県萩市 | 平成9年より |